2012年5月22日 (火)

うまずら は安くて旨いずら!

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今日、昼スギに仕事で藤沢に出かけた帰りの道々 夜飲る酒の肴は刺身で一杯飲りてぇナァ~  なんて呑気なことを考えて運転していたら、ホントにそうしたくなった。  そのまま会社に戻らず少し迂回して わりと行きつけの揃え豊富な 魚やさん にまっしぐらです。 ここは旬の魚が処せましと陳列してあり、どれも安い設定なので いつも アレコレと迷わされてしまいます。 勿論、活気溢れる連日の大盛況です。 今日は キンメ  ヒラメがよさそうでした。 そこに目に飛び込んできたのが うまずらはぎ です。 そこそこサイズが3尾400円と安い! うまずらは肝を乗っけて食うと濃厚で実に旨い これに決定です。早速、三枚におろしてもらい いそいそと帰ります。 本日の うまずら刺身と肝 の酒は迷わずサッパリと麦焼酎のロックにします。  ( アハハッこれが全くの大正解! )                 ・・・・ という お気楽な話でした。

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      フレンチ シトロエン親父を からかう お気楽な 英国ベントレーボーイ                                       ラッセルブロックバンク Russell Brookbank`s

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2012年4月26日 (木)

春雨の枝打ち

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今月初旬の或る日、外回りから帰ってくると家の近くの公園で雨の中 樹木の枝打ちが行われていた。      枝打ちなんて多く山でやる作業だろうとおもうが、それほど木々が密集していない公園では見るのはなかなか珍しい。 そこで少し小降りになっていたのでチョット見学スルことにしました。 丁度、板金工場で2CVの塗装の進行具合を撮ってきたところですのでカメラもあります。                                              しかし、雨で木の皮は滑りやすくなっているだろうに職人さんは木の中を上に下にとスルスルとまるで( 失礼ながら )猿のようで、その動きに当然ながら危なげなところは微塵もない。 上下で気の入った声を掛け合いながらの   仕事っぷりは小気味よく、なるほどネェ~商売とはいえ大したもの と強く感じ入ってしまいました。 そして、 ( こりゃ俺も真剣に減量しなきゃなんネェ~な ) と思わぬところで決意を新たにせざるを得なかったのであります。                 

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2012年4月 3日 (火)

春の嵐

Img002_640x436_vscc_2 英国VSCC 雨のヒルクライムミィーテング 美しきトライアルフィールド そして、  親子で雨のブガティを興じる羨ましき英国   EarlySummer1998

今日は、何やら夕方6時くらいから強風雨が相当 吹き荒れるらしい。午後 東京にいく用事を午前中に前倒しして済ませてきた。 だから、今 窓から荒れ始めた外の様子を見ながら呑気にこれを書いているのです。 ハハッ備えあれば憂いナシです。 <何時もそうだとホントに良いのですけどネ・・・( カミさんのお言葉 アハッ )                        事務所のラジオは( たいした用事のない人は家にいたほうが良い ) と繰り返している。午後4-5時現在で既に羽田はかなりの遅れ・欠航がでているらしい。                                             折角咲き出した桜は大丈夫か? と心配していたら ラジオでアナウンサーのお姉さんが桜は咲き始めなので大丈夫です。 と言っていたので ホントカァー? と思いつつも取敢えず一安心です。                                   こんな日は、早めに帰って いただきものの地鶏のもも肉でねぎまを作って焼き鳥で一杯飲る、なんてことに 限ります。 そうだッ!

Img_5140_1_2         家の近くの咲き始めの桜

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2012年3月31日 (土)

鎮魂・復興・記憶・希望の鐘

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 3月11日に東京 池上本門寺の 東日本大震災の一年目の法要 に下の娘を連れていってきた。                                                     丁度、日曜とあって予想通り境内は法要に参列する人々で一杯だつたが、なんとか大堂に入ることができました。例の時刻に併せて2時すぎに始まった法要に復興の祈りに手をあわせ、仁王門の鐘で鎮魂・復興・( 後世への ) 記憶・希望 の鐘を鳴らしたのです。 この四ツの言葉は被災地の一つ釜石市に建てられた鐘に添えられた言葉だそうだ。         12人一組で鳴らすので長蛇のわりにそう時間は掛からなかったが、この日 池上の山は夕方まで鐘が鳴り響いていたことだろう。                                     被災地の一日も早い復興を祈るばかりです。

 ボーイスカウト・ガールスカウトのメンバーも義援金集めに気の入った声を涸らしていた。

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2012年2月12日 (日)

成城という町

先日、三船敏郎の話で成城の町のことを書いたら、そういや成城って明るく面白いところだったナ といろいろと思い出した。  成城の八百屋でバイトをしたのは僅か半年プラスだったが、その間に見た面白い話

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写真は1988年英国モーガンモーター社 広報写真 New Plus4  その年のカタログのメインを飾った一枚 

 やたらに多い外国車  今でこそ、どこに行ったて外国車は掃いて捨てるホド 駆っているが、35-6年前のその当時はまだ珍しく、もっと昔のクリスマスの銀座や横浜じゃなくて いつもの住宅街としては異例に多かったのでは と思う。 大根の葉っぱを店の前で掃いていると、よいエンジン音がする 見るとMGミジェットがやって来る。通り過ぎて目で追うと幌のスクリーンに For Sale 60万だか65万だかの張り紙がしてある。何故だかフ~ンと感心スル 別の日、やっぱりよい音なので見ると ハーベストゴールドのクーパーS Mk-1、大きな犬が助子席に座って しっかりと前を見てる。 やっぱりフ~ンと感心スル( 面白れーェところだナここは・・・ ) と喜んでいると 成城大学の美しいオネーチャンが前を横切る。 メルセデス ポルシェ  ワーゲンのドイツ車の類は もう全くの当り前で、米国車は少なくほとんどが欧州車だった。  先のような変わり種は他には、アイボリーのSAAB96 オレンジのシトロエン2cv  ランドローバーなど憶えているが、何といっても極めつけは三船敏郎のMG-TDだ。台数的にも その内容にもやたら感心スルばかりだった。

 やたらに多い有名人 東宝撮影所 が町はずれにある為、半年で相当な有名人を見た。                  例のキヌタ文庫の近くのガソリンスタンドから けたたましい笑い声に見ると 大口で笑う中村メイ子 バイトの仕事中よそ見をしてたお客がぶつかってきた。やたらよい声で( ゴメン ゴメン )と謝ったのはシャンソン歌手の  芦野 宏( あとで聞いて知った ) 駅の階段を上ってくるVANジャケットの石津謙介  コーヒーを飲んでいると隣のテーブルに5-6人が座った。聞き覚えの声に見ると 藤村俊二 キヌタ文庫前のバス通りをジョキングする 宍戸 錠  駅前の立ち食い そば屋で昼をとっていると( かき揚げソバ ネ )の聞き覚えの声は 谷啓 レストランに入る 宇津井健( そこは自身経営スル店 葡萄屋 だったと知るのは後のこと ) バス停でバスを待つ短めのGパンにブーツスタイル なにかお腹が痛いような顔をしてる 田中邦衛 ・・・とチョット思い出してもこれだけ出てくる。 そうは言っても二十歳スギの小僧じゃ それは上面で、こちらが知らないだけで 他にも凄い人に すれ違っていたのだろうネ キット

高級住宅地の この町は、学生と撮影所の町でもあるので 明るくセンスのよい活気ある町だった。 今は用事もないのでここのところ ご無沙汰しているが多分変わらない装いだと思う。 食べもの屋も充実してるので ぶらぶら散策スルと面白いところだとおもいます。

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2012年1月18日 (水)

三船敏郎のMG

昨年の10月に書いたブログ< 森繁久弥のライレー >を読んだ旧知の自動車仲間 Kaさんから電話が入った。 ( こーゆう話 面白ろいよナー、 いい歳してミーハーぽいけど こーゆう話 好きでサ )と一杯かげんで褒めてくれる。 ( 俺、 大森の生まれ育ちだから よく大森山王で有名人の車を見たよ 昔、山王にはいろんな有名人がいてさ ・・・ そんなことより、だいぶ前に三船敏郎のMGの話してたじゃネェ  あれ、面白かったから次に書けヨ )と勧めてくれた。 ハハッすっかり その気になって書くことにした。  

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1961年 用心棒の撮影現場に三船敏郎のMGで来た黒澤明 と 仲代達也      面白いのは、取巻く大部屋俳優達の表情にそれぞれの気持ちがよく表れている。       ( 黒澤 明 資料・記録集 黒澤 明研究会編 共同通信社  )より         

大学3年の頃、世田谷 成城のスーパー丸正の八百屋で半年ほどバイトをしたことがある。       昼休みに住宅建築が好きな私は住宅ウオッチングするには打ってつけの高級住宅街 成城 の町を毎日ぶらぶらして目を肥やしていた。         そんな或る日、甲州街道 仙川に向かうバス通りで キヌタ文庫 という小さな古書店を見つけ何気に入ってみると、カーグラフィックのバックナンバーを揃えている最中の私は驚いた。 古い自動車雑誌が充実している。 しかも、コンディションが良くて安い! 神田あたりの店の半値以下だッ。 なぜかチョット慌てたのを憶えている。 それからというもの、バイトのある日はキヌタ文庫通いだ。 私の60年代カーグラフィック・カーマガジン( ベースボールマガジン社の )・60年代モーターマガジンはここで揃えたものが結講ある。           確か初夏の頃だった思う。例によってキヌタ文庫でチェックを済ませたあと少し住宅ウオッチングをしようとキヌタ文庫の脇の道から住宅街に入ってわりとスグのところで我が目を疑がう光景に出くわした。          白い洋館の西洋芝の広い庭にアイボリーのピカピカなMGがある。 そのまるでヨーロッパのような光景にホントに釘づけになった。 その頃、既にMGの知識はそれなりにあったので、それがMG‐TDであることはスグに分かった。 長い時間 鉄柵を掴んで唸るように見ていたと思う。 すこし落着いてみると、この家の前は2-3度通っているところだった。 MGを庭に出しているのも虫干しをしている様子で、庭の隅にある車庫の扉は左右に開いていて、TDの左右のドアも開かれている。トノカヴァも着けて無かったように思うが。 ゆうに15分くらいは いたと思う。 それでもまだ 相当 なごりおしかったがバイトの昼休みの時間もあるので帰ろうと、その家の玄関前まで来て何気に表札を見ると、さらに驚きまくった。 それは 三船 とある。 頭に電気が走ったかのようにスグに分かった。ここは 三船敏郎 の家だッ と。  その少し前のカーグラフィックのMG特集号の中に出てくるアイボリーのTDはオーナー三船敏郎氏と紹介されていた。 更に、その前のカーグラにもイベントのページでMGカークラブ( ジャパンセンター )の三船敏郎氏のMG と紹介されていたので、三船敏郎がTDを持っていて、クラブメンバーであることを知っていたからだ。  しかも、ここは東宝撮影所のある成城だ。 この出来事はいろいろな意味で強烈な影響を私に与えてくれたように思う。 大興奮でバイトをすませ、夕方 飛んで行ってみたが既にMGはしまわれて車庫の扉も閉まっていた。 その後、かなりの回数 見に行ったが、遂にMGを再び見れることはなかった。 

 それから20年近い月日が流れた。その間に私は 黒澤映画の熱烈なるファンになっており、そして全盛期の黒澤傑作映画 の大要因である三船敏郎のやはり熱烈なファンでもあった。  尚且つ、MGカークラブジャパンセンターのメンバーにもなっていた。                                                        そんな1993年、三船氏は勲三等瑞宝章を叙勲された。そこで MGカークラブでメンバーの三船さんの受勲を祝おうと、六本木の国際文化会館でMGクラブらしい質実な好いパーテーを催うした。                 当日は朝から仕事も手につかない。 早めに会場に着くと、既に気の早いメンバーが着いており嬉々として談笑している。 そんな良い雰囲気の中でパ-テーは定刻どうり 浅岡重輝氏の司会で始まった。    さあて いよいよ三船敏郎を拝めるのかと気がはやった。                                                       三船氏は俳優をしていた息子氏に付き添われるように現れた。当時70歳を越えていたと思うが、体調を壊されたようで思いのほか細く 菊千代 や椿三十郎 の豪快な面影は消えていた。( ・・・しようがネェーよな三船敏郎だって人間ダッ )と思いつつも クソーッ ! となんとなく納得がいかない。                           祝いの会なのにニコリともしない、その表情からあまり来たくなかった感が読みとれた。 浅岡さんが受勲のお祝いを述べられてから、三船氏に( クラブのメンバーに喜びの一言をお願いします )と向けた。 2-3秒ほど間があってから例の野太くぶっきら棒な声でボソッと ( いいよ・・・ ) とキタ 。  私は オッ!!と思った。  まさかの言葉に慌てた浅岡さんは少し間が空き ( そう仰らずに、こうして皆がお祝いに駆けつけたのですから )と再度促すと、今度は間髪入れずに                    ( だから いいってッ !) と荒々しく ブン投げるように言い放った。              私はオオッ!!!となった。 これって 菊千代 三十郎 そのものじゃネェーか。           ウホホッ 来て良かった~! とおもわぬ大きな収穫に密かに大喜びしているうちに三船さんは体調を理由にサツサと帰ってしまった。 会は白け気味になり三々五々のお開きとなりました。 しかし、私は3人と居酒屋に席を移し,ときおり (  だから いいってッ! ) とまねをしながら 菊千代  三十郎 に安酒で祝杯を上げる 好い宴を改めて催したのです。 

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2012年1月15日 (日)

青太竹爆ぜる ( 3 )

今日は小正月 恒例の町内会主催のどんと焼きです。                                           町内会長さんの新年のご挨拶が済むと、4mほどの青太竹で組まれたやぐらに火を入れるといっせいに門松やお飾りが燃え上がります。 暫くして青太竹に火が入ると楽しいほどスッーパアァァァン!!!と爆ぜる轟音が響き渡ります。

Img_4982_1その度にキャアーキャァーと大人達も子供達も景気づけの歓声を上げます。 どんと焼きという風習は田舎の行事なので、チョット前まで片田舎だった ここ横浜都筑でも地元の方々が手際よく下拵えをしてくれています。 東京から越してくる人がかなり多いところです。ですから、純東京の方がたは見たのは初めてという人も多く、振舞いのお酒を飲みながら興味深く楽しんでいます。 火が収まりおき火になったところで、長い木の枝に餅をさして焼くのです。 どんと焼きの火で焼いた餅を食べると、その年は無病息災である という縁起の好い 景気の良い小正月の楽しみな行事です。 

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2012年1月 5日 (木)

駅伝三昧

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今年の我社の年賀状です。モーガンとシトロエン2cvを毎年交互に作っています。( 或いは、英国かフランスのテーマで  ) 今年は2cvの年でした。                                          でも、年々年賀状を もらう数が減っています。 クリスマスの頃、本局に年賀状を投函しに行ったら局員が残っている年賀状の販売にかなり 声高の営業でした。 買うのをゆっくりしていて、欲しい枚数が一軒では足りず郵便局を2-3軒ハシゴして揃えた なんてのが、僅かつい何年か前のような気がスルのですが。                 暮れの忙しい合間をぬって年賀状を作成し切手を貼ってポストに投函スルなんて手間隙のかかる面倒くさい作業は21世紀の今時には端折ってしまいたいものなのかも知れませんが、そうして一つずつ生活の情緒 潤いが何時のまにか減っていってしまうのですね。( 時代のながれで仕方のないことですよ ) とかたづけてしまえば簡単ですけどね。 はたして そうかナァーと考えてしまいます。             

このところ、正月といえば TVで駅伝を観ています。 以前は横浜駅近くのコースに出向き新聞社の小旗をもらって応援をして、急いで家に戻り続きをTVで見るなんてことをカミさんとやっていました。が,今はレース前から炬燵の上にお酒とお節料理を用意しての観戦です。                                         今年もそうでした。元日は群馬のニューイヤー駅伝。 2日は今年で88年の伝統を誇る箱根駅伝の往路レース 3日目はその復路レースと毎日 駅伝三昧です。    大概、レースは午前8時頃スタートして( 箱根駅伝の場合 )120kmのゴールは午後の1時スギです。 ですから、そのころには実に好い具合に出来上がっています。 昼間の酒は効きます。 ハハッ まったく A Happy New Year ! の三が日です。  

 

 

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2011年12月18日 (日)

町の灯り

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12月も中盤を過ぎて、いよいよ今年もあと2週間で年が明ける。                             不景気に加えて、3月に1000年に一度とかいう超ど級の大震災と気の休む暇のない年だった。本格的な寒さは復興の最中の東北にも遠慮なくやってくる。 私を含め多くの人はニュースや新聞でその様子を垣間見て気を揉むが皆 自分のことで精一杯だ。 だから、12月に入っても どの町も夜は暗く、いつもの12月だったら必ずイルミネーションの飾りつけをスル家も今年はほとんどが せめてもの気持ちで自重している。 欧米の町はオレンジ色の街路灯と家々の白熱灯のオレンジ色の明かりが窓を通して街路にこぼれ夜の町を包むように明るくスル。                    だけど、我が日本の住宅はほとんどが雨戸か最近のはシャッター製でパッシャーンと閉めてしまうので夜の住宅街は暗く、加え街路灯は蛍光灯で寒々とした青白い灯りがポッーンと灯っていて木枯らしも余計に身に沁みる。                                                               こんな時こそ、へんな自重などしないでクリスマスのイルミネーションを灯けて町を明るくすれば少しは気持ちも暖かくなって良いことだと私は思うんだけど ネ。            いずれにしても来年も、頑張れ東北!頑張れ日本! ダッ!!!     

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2011年10月 4日 (火)

森繁久弥のライレー

Img_4583_1 先週のある朝、事務所でTBSラジオを点けると 名優 森繁久弥の次男の方が出演されていた。           途中からだったが、なかなか面白く仕事を中断して聴き入ってしまった。  機械が相当好きだったらしく ハーレーダビットソンにサイドカーをつけたりして楽しんでいたらしい。そんな話を聴いていたら 氏の英国車ライレーのことを思い出した。         まだ学校を出たての昔々34-5年位前のこと、世田谷の経堂に住んでいる友人を訪ねた帰り道でのことです。  その時、私はヤマハのトレールバイク AT1でだった  経堂の裏手から千歳船橋を抜けて環状8号に出ようと考えていた。 今じゃ考えられないが当時、千歳船橋の裏手は畑が多く( 赤堤にチャントした牧場があったくらいだ。 まだ あるのかネ ? )そこをAT1で呑気に走っていると、ハッとしたものが横目に映った。 慌てて止まってバックすると開け放してある門扉の奥に大オーラーを発してるクラシィクカ-がある。バイクを端によせて暫く見入っていたが、遂に我慢出来ず門扉が開いていたことを良いことに恐る恐る車のそばまで入ってしまった。  ラジエターグリルにあるエンブレムを見るとRileyとある。 ( ・・・これがライレーかぁ~ )と驚き呟いた。   私、自慢じゃないが、中学高校のころから年齢にして充分以上なMG・モーガンの知識を持っていた。  高一の1970年に買った モーターワールドなんて結構マニアックな雑誌のモーガン+4特集の中に書いてある ( 英国のモーガン愛好家は冬でも幌は上げずにコートの襟を立てて鼻を真っ赤にしながら乗っている。 そういった心構えで乗るスポーツマンの自動車だ ) なんて箇所を どのていど解っているのか生意気にもアンダーラインなんかしてある。 それくらいだから、22-3歳のその時 ライレーの名前くらいは英国スポーツカーとして知っていた。 初めて見るライレーに夢中で四方をぐるぐると廻っていたのだろう。 ( その自動車カッコイイよネ~ ) と突然 背後から確かそんなような声がして、瞬間 我にかえり振り返ると30くらいの女性がニコニコと笑っている。 慌てて( スミマセン 自動車好きなものですから つい勝手に入ってしまって )と謝ると そんなこと聞えてないかのように( ここのご主人自動車やオートバイがすきで、あんな大きな車庫があるのよ ) といままで気にも留めていなかったのだが、ライレーの後ろに5-6台は入るガレージがある。 このガレージ 木の枠のガラス戸が横に並び閉開はガラガラとスライド方式で昔の田舎商店のようだったと思い出すが、その中にあった車やオートバイを全く憶えていない。                                                   憶えているのは、そのライレーだけで だけど 憶えていると言っても4ドアのスポーツサルーンということと、鮮やかなブルーとライトクリームの2トーンボデーの色だけだ。 ブルーは多分例のライレーブルーじゃなかったかと推測する。 4気筒サイズか6気筒サイズか 年代も戦前型か戦後型か、今の私のライレーの知識で推測しても全く分からない。でもそれは素晴らしい一級コンディションだったのは確かだった。          < 中学生の時、どこそこでMGのTDをみて・・・ なんてことを言う人がいるが、それは単なる思い込みかテキトウな話で そんなの後年 推測で解るわけがない >                                             相変わらずニコニコしている女性に も一度 謝ってから、AT1のエンジンをかけ フト 門柱にある大きな表札を見ると 森繁 とある。 ( 森繁って ? あの森繁久弥 か? ) よっぽどニコニコ女性に聞こうと思ったが、まさかネェという気持ちもあってか 結論聞かなかった。                                       以来、あれは森繁久弥のライレーだったのかナァー と長い間、何かの折にふれては思い出していた。     それから、幾年月 先週の朝 森繁久弥氏の次男の方の話を聴いていて、 ハハッ と膝を強く叩いた。 次男氏は ( 親父は機械物が大好きでオートバイも自動車もいろいろ持っていて、千歳船橋の家のガレージも大きかった。) そう懐かしむように話していたからだ。 クソッーやっぱりそうだったカァー と30年来のなにかが一つ喉もとを通ったようなそんな気がした。

Img_4591_1           Riley Brooklands Nine ex-factory Racing                               素晴らしき有名なるライレーKV5392ワークスレースカー森繁久弥のライレーはこのライレーブルーだったような気がするが

(  追記  2011/10/16  )                                                         昨日、自動車仲間のAさんから電話が入った。( 森繁久弥のライレー のブログみたよ。 今、そのライレー埼玉の自動車屋さんのコレクションミュージアムで展示しているみたいだゼッ )と言う。更に( 車種はライレーモナコで、色は全然違う マルーンとブラックだよ。だけど6年くらい前に塗り直したと書いてあるから、塗り直す前の色だったのかねェ ライレーで検索してみてみなヨ ) と教えてくれた。                       スグに見てみると なるほど ライレーモナコで、色は私の記憶とまるで違う D,レッドのマルーンとブラックだ。 人間の記憶なんてこんなものヨ なんて思いながら、そうは言っても、なんとなく腑に落ちなかった。 友人の言うとうり6年前に塗り直したとあるから、その時、現在の色に変えてしまった可能性は大きくある。        もう一つは、私 英国のライレークラブに暫く入会していて、かなりのライレーを見た。                 だから、記憶がいろいろと混ぜこぜになってしまったのかもしれない。 マッ いずれにしても車種が判明し、今だ森繁家の所有というなんとなく喜ばしき現状が分かっただけでもブログに書いた甲斐があったというものだ。                        

 

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