三船敏郎のMG
昨年の10月に書いたブログ< 森繁久弥のライレー >を読んだ旧知の自動車仲間 Kaさんから電話が入った。 ( こーゆう話 面白ろいよナー、 いい歳してミーハーぽいけど こーゆう話 好きでサ )と一杯かげんで褒めてくれる。 ( 俺、 大森の生まれ育ちだから よく大森山王で有名人の車を見たよ 昔、山王にはいろんな有名人がいてさ ・・・ そんなことより、だいぶ前に三船敏郎のMGの話してたじゃネェ あれ、面白かったから次に書けヨ )と勧めてくれた。 ハハッすっかり その気になって書くことにした。
1961年 用心棒の撮影現場に三船敏郎のMGで来た黒澤明 と 仲代達也 面白いのは、取巻く大部屋俳優の表情にそれぞれの気持ちがよく表れている。 ( 黒澤 明 資料・記録集 黒澤 明研究会編 共同通信社 )より
大学3年の頃、世田谷 成城のスーパー丸正の八百屋で半年ほどバイトをしたことがある。 昼休みに住宅建築が好きな私は住宅ウオッチングするには打ってつけの高級住宅街 成城 の町を毎日ぶらぶらしていた。 そんな或る日、甲州街道 仙川に向かうバス通りで キヌタ文庫 という小さな古書店を見つけ何気に入ってみるとカーグラフィックのバックナンバーを揃えている最中の私は驚いた。 古い自動車雑誌が充実している。 しかも、コンディションが良くて安い! 神田あたりの店の半値以下だッ。 なぜかチョット慌てたのを憶えている。 それからというもの、バイトのある日はキヌタ文庫通いだ。 私の60年代カーグラフィック・カーマガジン( ベースボールマガジン社の )・60年代モーターマガジンはここで揃えたものが結講ある。 確か初夏の頃だった思う。例によってキヌタ文庫でチェックを済ませたあと少し住宅ウオッチングをしようとキヌタ文庫の脇の道から住宅街に入ってわりとスグのところで我が目を疑がう光景に出くわした。 白い洋館の西洋芝の広い庭の中央にアイボリーのピカピカなMGがある。 そのまるでヨーロッパのような光景にホントに釘づけになった。 その頃、既にMGの知識はそれなりにあったので、それがMG‐TDであることはスグに分かった。 長い時間 鉄柵を掴んで唸るように見ていたと思う。 すこし落着いてみると、この家の前は2-3度通っているところだった。 MGを庭に出しているのも虫干しをしている様子で、庭の隅にある車庫の扉は左右に開いていて、TDの左右のドアも開かれている。トノカヴァも着けて無かったように思うが。 ゆうに15分くらいは いたと思う。 それでもまだ 相当 なごりおしかったがバイトの昼休みの時間もあるので帰ろうと、その家の玄関前まで来て何気に表札を見ると、さらに驚きまくった。 それは 三船 とある。 頭に電気が走ったかのようにスグに分かった。ここは 三船敏郎 の家だッ と。 その少し前のカーグラフィックのMG特集号の中に出てくるアイボリーTDのオーナーは三船敏郎氏と紹介されていた。 更に、その前のカーグラにもイベントのページなどでMGカークラブ( ジャパンセンター )の三船敏郎氏のMGと写真入りで載っていたので、三船敏郎がTDを持っていて、クラブメンバーであることを知っていたからだ。 しかも、ここは東宝撮影所のある成城だ。 この出来事はいろいろな意味で強烈な影響を私に与えてくれたように思う。 大興奮でバイトをすませ、夕方 飛んで行ってみたが既にMGはしまわれて車庫の扉も閉まっていた。 その後、かなりの回数 見に行ったが、遂にMGを再び見れることはなかった。
それから20年近い月日が流れた。その間に私は 黒澤映画の熱烈なるファンになっており、そして全盛期の黒澤傑作映画 の大要因である三船敏郎のやはり熱烈なファンでもあった。 尚且つ、MGカークラブジャパンセンターのメンバーにもなっていた。 そんな1993年、三船氏は勲三等瑞宝章を受勲された。そこで MGカークラブでメンバーの三船さんの受勲を祝おうと、六本木の国際文化会館でMGクラブらしい質実な好いパーテーを催うした。 当日は朝から仕事も手につかない。 早めに会場に着くと、既に気の早いメンバーが着いており嬉々として談笑している。 パ-テーは定刻どうり 浅岡重輝氏の司会で始まった。 さあて いよいよ三船敏郎を拝めるのかと気がはやった。 三船氏は俳優をしていた息子氏に付き添われるように現れた。当時70歳を越えていたと思うが、体調を壊されたようで思いのほか細く 菊千代 や椿三十郎 の面影は消え失せていた。( ・・・しようがネェーよな三船敏郎だって人間ダッ )と思いながら クソーッ ! となんとなく納得がいかなかった。 祝いの会なのにニコリともしない、その表情からあまり来たくなかった感が読みとれた。 浅岡さんが受勲のお祝いを述べられてから、三船氏に( クラブのメンバーに喜びの一言をお願いします )と向けた。 2-3秒ほど間があってから例の野太くぶっきら棒な声でボソッと小さく ( いいよ・・・ ) とキタ 。 私は オッ!!と思った。 まさかの言葉に慌てた浅岡さんは少し間が空き ( そう仰らずに、こうして皆がお祝いに駆けつけたのですから )と再度促すと、今度は間髪入れずに ( だから いいってッ !) と野太く ブン投げるように言い放った。 私はオオッ!!!となった。 これって 菊千代 三十郎 そのものじゃネェーか。 ウホホッ 来て良かった~! とおもわぬ大きな収穫に密かに大喜びしているうちに三船さんは体調を理由にサツサと帰ってしまった。 会は白け気味になり三々五々のお開きとなりました。 しかし、私は3人と居酒屋に席を移し,ときおり ( だから いいってッ! ) とまねをしながら 菊千代 三十郎 に安酒で祝杯を上げる 好い宴を改めて催したのです。
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